フランス発!パリの街を走ったはじめての自動車は「火のクルマ」だった
自動車誕生と同時に自動車事故の歴史もはじまった
自動車産業の歴史のなかで「はじめての自動車」として記録されているのは、フランスの「ニコラ-ジョセフ キュニョー(Nicolas-Joseph Cugnot)」が1769年に作った「火のクルマ」と呼ばれる砲車です。
「キュニョーの砲車」が有名なのは、はじめての自動車と言うだけではありません。
実は、「はじめて自動車事故を起こした火のクルマ」としての逸話も同じくらいに有名だからです。
冒頭より安全装置の話しからそれてしまいますが、はじめての自動車が生まれた経緯を少しだけみてみましょう。
はじめての自動車はパリの街をゆっくりと走った
はじめての自動車は「砲車」と名のとおり、鉄製の大砲をはこぶためにつくられました。
当時は、人や馬を使い荷車に乗せて大砲を運んでいました。
混沌としていたヨーロッパの領地争いの中において、当時劣勢の立場にあったフランスにとって、大砲をすばやく戦地に運び効率よく使うことが求められていました。
「砲車」は、イギリスやプロイセンとの戦いで辛酸をなめたフランス国軍が、劣勢をくつがえすために開発した新兵器のひとつとして生み出されたものだったと考えられます。
この砲車を設計製作したキュニョーは、フランス国軍にて技術者として勤め、多くの兵器とその輸送、そして要塞などの研究開発を手がけた、兵器作りのスペシャリストです。
「キュニョーの砲車」アイディアは斬新そのもので、当時の最先端技術「蒸気機関」を動力源として採用したものでした。
熱エネルギーを動力源としてピストンを動かし、それを回転運動に変換する画期的な工夫がされた「ハイテク製品」だったことは間違いありません。
実際、1802年にリチャード・トレビシックが蒸気機関車の走行に成功する30年以上前に、蒸気機関を車両に搭載し自走に成功していますから、いかに斬新な発明であったかがわかります。
このことからも18世紀に造られた発明の中にあってもう少し評価されてよかったはずですが、フランス国内の政情悪化が進んでいたため、ある事件をきっかけに開発継続ができませんでした。
国王へのお披露目で起きた公開試運転の事故!
キュニョーの砲車は2台つくられました。
1台目は、はじめての自動車として認められている1/2サイズの試作車で、2台目が完成すれば実用の砲車となるはずでした。
初めての自動車として記録されているパリ市街の試験走行に成功した1号車に対し、2号車は「初めて自動車事故を起こしたクルマ」として、自動車史に記録されています。
優秀な技術者キュニョーの功績をおとしめたこの事故は、当時のフランス国王ルイ15世が見守る中、公開試運転の場で起きてしまいました。
製作開発費もルイ15世のスポンサーによる、いわば「国王お墨付きの国家プロジェクト」で、100%成功と言うシナリオのはずが、無残にも「初の自動車事故」という結果になりました。
キュニョーやフランス軍関係者にとっては、まさに悪夢のような光景だったに違いありません。
このクルマは開発者の意図するような操作ができず、レンガの壁にぶつかり前面部のボイラーや蒸気機関と壁を破壊してしまいます。
その結果、開発計画は中止となり、2号車を何とか修復したものの研究開発は継続されませんでした。
「キュニョーの砲車」がうまく実用化していれば、戦況を大きく左右する大砲をより効率良く活用することができていれば、その後のフランス革命などの歴史も少し変わっていたかもしれませんね。
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